記事情報
- カテゴリ
- 2025-07-07 ・国内旅
- 投稿者
- 峯鉢
- タイトル
- 四国旅8
- リード文
- 今や江戸時代までに建造された天守が現代に残っているのは、全国で12城しかありません。これを「現存12天守」といいます。
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松山城について
加藤嘉明は、豊臣秀吉の家臣で賤ケ岳の七本槍の一人として名をあげた。関ヶ原の戦いでは徳川家康側として参戦し、その戦功として伊予で20万石の大名となった。
1602年に、加藤嘉明は、標高132mの勝山山頂に本丸、山麓に二の丸を設けたが、1627年(寛永4)に城の完成を見ることなく、会津藩へ移封された。
その後蒲生氏郷の孫の蒲生忠知が伊予に入り、二の丸を完成させた。だが病死、後継ぎがなく断絶。
1635年(寛永12)松平(久松)定行が封じられ、以降、230年余にわたり親藩大名として明治に至る。
1784年(天明4)落雷によって本丸は消失。
1852年(嘉永5)に再建された。
その後、昭和に入り放火や戦災で、本丸の建物群、門や櫓などが焼失。
しかし松山市は城郭の復元を行って当時をよみがえらせた。
尚、松山城は姫路城、津山城とともに三大平山城の一つで、天守は現存12天守の一つ。また姫路城に次いで多い21棟の重要文化財を持ち、復元された建物をあわせると50基もの構造物が存在している。
松山城は、松山市の中心部である標高132mの勝山山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園)、三之丸(堀之内)がある広大な平山城です。
松山城二之丸史跡庭園は、プロポーズにふさわしいロマンティックなスポットとして、2013年10月1日「恋人の聖地」として、NPO法人地域活性化支援センターに選定されました。
一ノ門と二ノ門との間には、一ノ門前の広場につづき、ここでも桝形を形成しています。
次の二ノ門が破られる間、寄手はこの場で立ち往生。その間に正面と両側面からの横矢掛かりに加え、背後の小天守からも弓・鉄砲の攻撃を仕掛け、寄手に大きな打撃を与えます。
松山城ではおもてなしイベントと題し、
展示中の刀の重さを体験できるコーナーがあります!お子さまにも大人気のコーナーです。
体験してみましたが、想像以上に重い!時代劇でお侍さんたちが軽々と振り回すシーンを見ますが、彼らはものすごく力持ちですね。
着物姿のキャストや甲冑姿のキャストと記念撮影ができるイベントを随時行っています。
さらに甲冑を試着できる貴重な体験コーナーもあります。脛当・篭手・胴から兜まで各パーツを、手順を見ながら、自分で装着していきます。
装着後は、葵紋の前で記念撮影。戦国武将になった気分を味わえますよ!
階段を昇っていざ三階の最上階へ。天守内の階段はかなり急です!
本丸の道や松山市の街並みを、一望することができます!ゆるキャラ、よしあきくんを発見。
松山城へどうぞ!