記事情報
- カテゴリ
- 2025-08-17 ・中山道
- 投稿者
- わらじ~
- タイトル
- 中山道(福島宿~上松宿)その1
- リード文
- 天気は上々、12時に木曽福島駅前を出発
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大宮を5時12分発の埼京線で出立
武蔵野線・中央線・中央本線と乗り継ぎ
塩尻駅には9時53分に着いたが
中津川行は10時50分までないのでここで一服
木曽福島駅には11時43分に到着
中津川行電車の中で、折り畳みキャリーカートに
沢山の荷物(旅行トランク、寝袋、マット、缶ビールの
入った発泡スチロールの白い箱)を乗せ、18きっぷで
旅をしている定年退職者に会った
相模原の人でこれから紀伊半島の方に回るとのこと
中山道も歩きたいと言っていた
天気は上々、12時に木曽福島駅前を出発
駅を出てすぐ御嶽神社がある
神社の左側を回ってブロック塀の後ろ側を進む
木曽町役場の所に案内標識がある
12:23 塩渕一里塚跡碑(江戸方より70番目)
碑は塩淵くらぶの軒先にあった
この先、「中山道を歩く」ではトンネルを通ることに
なっていますが、トンネルの入口は封鎖されていて
照明も無く真っ暗です。しかし、構わず進むと、
短いトンネルなので、すぐに出口の光が見え
問題なく通過出来ました。
13:07 「元橋」信号を過ぎてこのガードを潜って進みます
13:14 ここにも御嶽山の遙拜所がありました
13:19 山と川の間に国道、鉄道線路、旧中山道がひしめき合って並行しています
木々の左下方が木曽川、旧中山道は一番右の山側を走っています
歩いてきた方向を振り返って眺めています
13:23 進行方向を眺めます
右下の駐車場は、木曽市場の駐車場南端です
13:39 沓掛一里塚碑(江戸方より71番目)
右の塚は現存していてJR沿いの草原の先にあるはずだが、
道を確認するのに気を取られ、そこまで行かずに下の道へ下りてしまった 失敗
ここで一服していると、中山道を走って旅している若い夫婦が現れた
走って回っているとは知らず、お先にと言って
歩きだしたところ、あっという間に追い越されてしまった
13:49 『木曽の棧(かけはし)』の手前、左の大きな木の
向こう側に棧の遺構があります
「木曽の棧、太田の渡し、碓氷峠がなけりやよい」と言われたように、中山道の難所の一つだった
左の女性は、先ほど追い越して行った奥さんの方
旦那の方は隣にいたのですが、枠内に入りませんでした
ロープを頼りに少し下りて棧を覗きに行きました
大きな石の上で滑ってしまい、下まで降りるのは
身の安全上からあきらめました
・木曽の棧は対岸に向けて架けられた橋ではなく、絶壁に並行して横に架けられた棧道
・当時は丸木を柱として横に板を並べるという簡単な橋で、1647年に通行人が松明を落とし焼落ちてしまった
・そこで尾州藩の命により長さ102m、幅6.7m、高さ13mの石垣を築き中央に14.5mの橋が架けられた
・のちに橋の部分も石垣で埋められてしまった
13:55 木曽の棧の遺構の一部が残されています
国道工事で残りの部分はコンクリートで固められた由
石組をよく見ると、2本の柱の脇に城の石垣の角の
ような積み方をしたところが見られます
角と角との間、真中の部分の石垣は後世のもので
注意して見ないと尾張藩の仕事に気がつきません
「中山道を歩く」では、この赤い橋を渡って対岸を歩く
ように案内していますが、それには従わず旧中山道
ルートに近い国道を進みました