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慶長17年に川の中から黄金の薬師像が発見され、時の藩主奥平忠正と奥方亀姫(家康の娘)はこれを慶び川中に二間四方の浮見堂を建て安置した
10:56 五つ目の枡形『広江の漢方太田薬局』前を左に曲がり、六つ目の枡形「加納城大手門跡」の方を見ていますこの薬局の前に「左中山道」の道標がある
太田薬局から50メートルほど先、清水川に架かる橋のたもとにある高札場跡の標識
高札場跡の標識から橋の反対方向へ目を移すと桜の花越しに水薬師の旗が見えます慶長17年に川の中から黄金の薬師像が発見され、時の藩主奥平忠正と奥方亀姫(家康の娘)はこれを慶び川中に二間四方の浮見堂を建て安置した川の中から金の仏像とは、浅草の観音様のようだ大正時代まで清水川は川幅70mほどあり、ガマと呼ばれる湧水がいたる所にあったそうだ
行く手に歩道橋が見えます
歩道橋のたもとに「加納城大手門跡」の石碑があるここが六つ目の枡形右折して進みますここから少し離れるが、加納城から少し東を境川が流れている16世紀終わり頃までは木曽川の本流は境川だったそうな
枡形の所から、右折した先を眺めています
11:04 進行左手に『二文字屋』という有名うなぎ店があった元和六年(1620)創業の老舗だ左甚五郎作の「月夜に川原で餅をつくウサギの欄間」があるとのこと 火事の時、欄間の川原から水が吹き出し一瞬のうちに 火を消したという伝えがあるそうだ
加納宿当分本陣跡 広い屋敷跡が残るだけ
11:07 広い「加納桜道」を横断して進みます 車に注意!この通りから北を眺めると金華山が見える
11:09 通りを渡って右側1本目の電柱の向こう側に加納宿本陣跡の標柱
11:12 加納宿脇本陣跡
11:12 脇本陣の脇の道が加納天満宮参道