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垂井一里塚(江戸方より112番目)左現存国指定の一里塚
10:40 西の見附
10:52 日守の茶所と垂井一里塚のノボリ
垂井一里塚(江戸方より112番目)左現存国指定の一里塚中山道には国指定一里塚が二ヶ所あり、もう一つは東京都板橋区の志村一里塚(左右現存)
垂井一里塚は関ヶ原合戦の時「甲斐府中」十六万石の領主だった東軍の将「朝野幸長」が陣を張った場所で、合戦後は和歌山三十七万六千石に加増されたと説明がある
11:08 伊富岐神社の鳥居と常夜灯
11:12 野上の七つ井戸
11:20 野上の松並木
11:23 中山道に並行して走る東海道本線 (大垣と米原をつなぐJR東海の列車)
11:26 ここの地名「桃配山」の説明板 壬申の乱の時の桃にまつわる故事から、関ヶ原合戦の際、徳川家康は最初にこの桃配山に本陣を構えた
左上を眺めると、徳川家康最初陣地の看板