記事数:23 80の旅ごころ記事

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月別:2025年07月

2025-07-30 ・中山道

わらじ~

中山道(洗馬宿~奈良井宿)3

贄川宿を出て奈良井駅までで上がり

洗馬宿~奈良井宿 タイムライン
08:37 洗馬駅スタート
09:50 本山宿 出梁造り川口屋前
10:20 日出塩駅 トイレなし
11:04 是より木曽路の碑
12:28 贄川駅 20分休憩
12:55 贄川関所 15分見学
14:45 木曽平沢駅 トイレ非水洗
15:20 奈良井駅ゴール
15:56 奈良井駅→16:20塩尻駅

2025-07-28 ・中山道

わらじ~

中山道(洗馬宿~奈良井宿)2

贄川関所見学

足下に国道と奈良井川の流れが見えます
木曽路には木曽川が南流していると思っていたが、
奈良井宿までは奈良井川(千曲川、信濃川となる)が北流している

2025-07-26 ・国内旅

峯鉢

四国旅10

高知城は、天守と本丸御殿が現存する唯一の城

道後温泉から松山自動車道ー高知自動車道を走り、無事に高知城のお膝下高知公園に着きました。
高知公園の入り口から遠くに見える高知城に向かいます。

城の大手(正面)にふさわしい堂々たる構えを持つ追手門をくぐり、石段を登り、大衆に向かって自由と平等を呼び掛けている板垣退助像や内助の功で有名な一豊の妻、千代の像を見て、詰門を通り本丸に向かう。
国の重要文化財、本丸御殿(城主の住居であり、政務や日常生活を行うための施設)、外観4重、内部3層6階建ての天守を見学。
なお、高知城は、天守と本丸御殿が現存する唯一の城である。

天守からの市内の眺めは絶景。

2025-07-18 ・海外旅・旅と○○

よしみ

旅と危険な遊び

赤い風車で有名なムーランリュージュ近くの・・・

  この表題からして「何とバカなこと言ってるんだ」そんな声が聞こえてくる。日本の外務省は海外安全ページなるもので渡航先の危険に対して常時情報を流している。若かりし頃、親からは「旅行に行ったら絶対に危ないところに足を踏み入れるな」と注意を受け、本人も肝に銘じていた言葉だ。しかし旅を重ねてくると慣れと自信から一般的な観光旅行の枠からはみだしたい気持ちになるものである。それは昔から言われている遊びの三要素である「飲む・打つ・買う」の世界に足を踏み込みたい好奇心と・冒険心が膨らんでくる。そんな気持ちを持った人はグループ旅行のお客様の中には何人か必ずいる。東南アジアの旅行先では現地ガイドが担当した団体に関して何事も起らないように注意を払っているので危険なる場所に足を踏み入れることは殆どない。その反面、時間で契約されているヨーロッパ・北米・オセアニアにおいて、ガイドが帰った後の夜の案内は添乗員がしなければならない。私自身も好奇心旺盛な人間であり又お客様の要望には「ノー」と言わないことをモットーとして仕事をしていましたので、あらゆる「夜遊び」に付き合ってきました。
  そんな中で一番の記憶に残る事件はパリの飲み屋での出来事である。赤い風車で有名なムーランリュージュ近くの飲み屋に呼び込みの「一杯1フランでのドリンクサービ」につられて地下の薄暗いお店に入った。値段からして私自身の頭の中では「ちょっとあやしいな」との思いがあったが、ここはパリの繁華街「ま、いいか」との判断をしていた。その様なお店に入るのはパリでは私自身初めてであった。店に入ると、ミニスカートの接待女性が数人いた。お客は他に居たかどうかわからなかった。男の案内係に4人掛けのテーブルに案内された。私は席に座る前にトイレ行き用を足して席に立ち戻ろうとした時、私の前を女給の一人がシャンパンの瓶を持ち歩いて我々のテーブルに向っていく姿が目に入った。その瞬間私は「あぶない」と危険を感じて大きな声で「出ましょう」と叫んだ。そして階段を上りかけた時、大きな男が手を広げて我々の進行を妨げようとした。先頭の人が大声で「どけ!」と叫んだ、一瞬大男がひるんだ隙に階段を登り切り店の外へ出て道路を走って逃げた。それからパリのサンザザール駅の近くのホテルに戻るまで、パリの街を2時間位彷徨よった思い出は、40数年前の危なかった出来事として、今でも私の脳裏に残っている。
  この出来事は危機一髪のかっこいい話であるが、真逆の経験を10年位後にになって経験してしまった。ホテルから乗ったタクシー運転手の推薦する店に案内させた。そのお店も前回と同じムーランルジュに近い場所に位置していた。運転手を信じて居たので、安心して店に入り飲み物を注文し終わって待っているとシャンパンの瓶をぶら下げて女給が我々のテーブルに向ってくるではないか、我々はシャンペンなど頼んでない。その瞬間、「危ない!店から出ましょうと」叫んだ、そして店の外に出て見渡すと一人のお客様がいない、仕方なく店に戻ると一人のお客が男に羽交い絞めされている姿があった。万事休す!かなりの金を払いその店を後にした。まさに暴力バーでの悔しい体験であったが、我々の身に何事もなくその旅を終えることが出来たので今思うと良かったのかもしれない。「君子危うきに近寄らず」の話である。

2025-07-07 ・国内旅

峯鉢

四国旅8

今や江戸時代までに建造された天守が現代に残っているのは、全国で12城しかありません。これを「現存12天守」といいます。

松山城について
加藤嘉明は、豊臣秀吉の家臣で賤ケ岳の七本槍の一人として名をあげた。関ヶ原の戦いでは徳川家康側として参戦し、その戦功として伊予で20万石の大名となった。
1602年に、加藤嘉明は、標高132mの勝山山頂に本丸、山麓に二の丸を設けたが、1627年(寛永4)に城の完成を見ることなく、会津藩へ移封された。
その後蒲生氏郷の孫の蒲生忠知が伊予に入り、二の丸を完成させた。だが病死、後継ぎがなく断絶。
1635年(寛永12)松平(久松)定行が封じられ、以降、230年余にわたり親藩大名として明治に至る。
1784年(天明4)落雷によって本丸は消失。
1852年(嘉永5)に再建された。
その後、昭和に入り放火や戦災で、本丸の建物群、門や櫓などが焼失。
しかし松山市は城郭の復元を行って当時をよみがえらせた。

尚、松山城は姫路城、津山城とともに三大平山城の一つで、天守は現存12天守の一つ。また姫路城に次いで多い21棟の重要文化財を持ち、復元された建物をあわせると50基もの構造物が存在している。

2025-07-02 ・しま旅

わらじ~

小笠原諸島の旅5

東京都最東端のバス停

2日目【2025年(令和7年)4月8日】 その4
コペペ海岸 南太平洋ギルバート諸島の先住民 
「コペペ」 が住んでいたことに因む名前との説あり

2025-07-01 ・中山道

わらじ~

中山道(下諏訪宿~洗馬宿)9

今日は洗馬駅までで上がり

10:00 下諏訪駅スタート
10:55 信号「出早口」ローソン 道を間違え15分ロス
12:00 石船観音堂 往復10分
12:23 塩尻峠 10分休憩
13:03 犬飼の清水
13:39 首塚・胴塚
13:51 柿沢一里塚跡
14:02 塩尻宿本陣跡
14:37 塩尻橋
15:08 平出一里塚
15:46 肱懸松
16:07 洗馬駅ゴール
16:16洗馬駅→16:20塩尻駅

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